「知の技法」を読んで 「知の技法」は東大教養学部の「基礎演習」のテキストで、マドンナのヌード 写真が出ていて話題になった本です。20万部だか30万部だか売れただけあっ て、さすがに面白く、オジサン受けする本だと思いました。(なぜオジサン受け なのかはあとで書きます。) 基礎演習というのは、93年度からはじまった文科系1年生春学期の必修科目 で、小人数の演習形式の科目で「それぞれの教官がアクチュアルなテーマを中心 にして運営する」ものだそうです。同じ時期に始まった日吉の商学部の総合教育 セミナーと似ているようです(つまりどこも同時に同じような問題意識でカリキュ ラム改革をしているということですね)。 この教科書の内容は3部からなり、第1部が文科系学問の特徴と大学の使命に ついて、第2部が各論で、14人の担当教官がそれぞれの演習のさわりの面白そ うな話を、学識の深さをほんのチラットだけ見せることによってさらに面白そう に書いています。第3部はいわゆる論文の書き方をコンパクトにまとめてありま す。 私はこの第2部の内容は、素直に面白いと思いました。先生方の専門分野はほ とんどが文科系で、文化人類学、日本近代文学、言語情報科学、地域文化研究、 表象文化論、社会統計学、相関社会科学、比較文学、国際関係論など多岐にわたっ ています。私にはなじみのないものも多く、こんな学問があってこんな事をこの ように学問するのだな、とほんのさわりですが触れることができて面白かったの です。日吉に居るのに文科系の先生と学問の内容について話を聞く機会があまり ないものですから。これはきっと学生にとっても同様で、高校とはまったく違う 科目がたくさんあることに新鮮に驚き、学問をやろうという気になるのではない でしょうか。 ところで学生たちにとって、この基礎演習はどう受け止められているのでしょ うか。実際の講義のやりかたはわかりませんから評価できませんが、この本の中 に、1年目の基礎演習について学生の授業評価が載っています。下の表を見て下 さい。肯定意見が否定意見より少ないのがパッとみてわかります。肯定意見が多 いのは、「資料調べや発表は重い負担であった」とか「教官は熱心であった」な どで、肝心の「大学での勉強のしかた」などは肯定が少ないのです。つまり授業 のねらいが学生に浸透しているわけではなく、全体としてみるとこの基礎演習は 必ずしも成功しているとは言えないようです。 もっともこの科目は必修なので、気が進まずにイヤイヤ履修させられる学生も いることでしょう。日吉理工の総合教育セミナーのように選択なら興味のある学 生しか来ないので、もっと評価が上がるかもしれません。もっとも東大駒場の文 科系は、理科系と違って進振り(慶応理工での科分け)がないので、Aをとろう という学生など居ないしちっとも勉強しないから、必修科目でなかったら誰も履 修しないだろうという話も聞きました。(東大出身者談) さて私が少々物足りなく思ったのは、何のために勉強するのか、がこの本から あまり伝わらないことです。知の技法は勉強するときに必要になるのであって、 そもそも何のために勉強をするのか、勉強するとなぜ良いのかが学生にわからな ければ、知の技法など必要ありません。大学にはいって、進級や就職、科分けの ためのA集め、大学院入試などで縛る以外に、学生に勉強の必要性を伝えること はできないものなのでしょうか。東大の基礎演習は本当に良さそうな科目なのに、 学生には伝わらずにからまわりしているのは、そのせいではないでしょうか。 この答えは第1章にあります。第1章は「学問の行為論ーー誰のための真理か」 です。内容は「ここでは、理科系学問とは異なった文科系学問の特徴を原理的に 考察し、同時に大学という場の使命について論じています。」です。正直に言う と、私はこの第1章が理解できませんでした。内容が、です。本来なら、ここに は、学問をするとどんな良いことがあるのか、何のために学問をするのかが書い てあって、各論の2章へつながっていくものでしょう。でも何だかよくわからな い内容でした。学生がこれを読んで、よし、学問をやってみよう!という気持ち になるとはとても思えません。「学問のための学問」をやりたいという意志がす でにある学生ならこれで感動するかもしれませんが、東大とはいえ、一般の学生 の心にすっと受け入れられるとは思えない内容です。第一、そうでないからこそ、 こういう演習科目ができたのではありますまいか。 なぜ学問をやるのか、の答えはむしろ第2章の各論にあります。それぞれの学 問がどういう世界を切り取るのか、そのやり方と内容から具体的にみることがで きます。 例を上げます。マドンナのヌード写真が7枚もでていて話題になった松浦先生 の文章は、「レトリックーーMadonna の発見、そしてその彼方」という題名で、 表象文化論のさわりを扱っています。「映像を読む」とはどういうことかを 「Sex by MADONNA」という写真集を例にして説明します。単に、マドンナは かっこいい、とかセクシーと見るだけではなく、もっと知的にこの写真集に込め られたメッセージを読み取ろう、というのです。背景や小道具、ポーズまで計算 しつくされたこの写真集から、マドンナのヌードを刺激的に演出している要因は 何か、を読み取る。社会的歴史的状況をも考えあわせれば、マドンナがセックス シンボルとして売り出すその内容には、健康で強い女、自由で独立した女、自分 の性を統御し楽しむ女、というメッセージが込められているのがわかでしょう、 というものです。 私は、なるほど、こういうことを扱う学問もあるのか、と思いました。現代社 会を理解する上で、こういう視点はとても面白いです。メッセージを読み取る対 象として現代の、しかも話題のヌードを取り上げたのも人の興味をひきつけ好感 がもてます。学生も学問にたいするイメージを一新するでしょうし、世のオジサ ンたち達も、痴的とあわせて知的な興味もわく質の高い内容です。この本を買っ た何十万人のかなりの部分はオジサンだと私は想像しますが、買って損はないで しょう。マドンナのヌード写真を文化史的に評論することは日本のオジサンにとっ てかなり高度な知的作業ですから。 でも、女である私は思います。マドンナの劇的メッセージを知的に理解するの はたいへん結構ですが、自分の足元も御覧くださいね、と。いま日本ではマドン ナのメッセージより大きな、革命ともいえる意識の変化が起こっているのですよ。 小学生の女の子たちに人気のテレビアニメでは、戦う少女たちの物語が花盛りで す。自分の意志をもった女の子達が、団結して、地球を守るために戦うのす。た とえばセーラームーンを御存じでしょうか。そこではセクシーな女の子のグルー プが地球とみんなを救うために戦うのです。勇気とか平和という言葉が女の子の 口からポンポン出て来るし、愛と戦いが矛盾なく同居しています。ただ静かに耐 えるだけの女のイメージは全くなく、自分の意志で行動し、行動するなかで成長 していく女のイメージが、全国の少女にインプリントされているのです。 一昔前の日本の女は、一生仕事にうちこみたいために結婚をあきらめても不思 議ではありませんでした。私達の頭の中にはいつのまにか、仕事をする女=愛や 結婚をあきらめた人、という図式ができあがり、それが変形して、仕事のできる 女=自分の意志をもつナマイキな女=男に愛されない薄幸な女、とまで強化され ています。その逆の命題は、セクシーな女=男の意のままになる存在、です。こ のようなことは各種のメディアから読み取ることができます。たとえば日本の陰 湿なヌード写真はそのメッセージを流していますよね。 さて、中高年の日本のオジサンにとって大切な、セクシーな女=自分の意のま まになる存在という図式は、今の日本の女性差別社会を支える大事なイデオロギー でもあります。これが覆されるといったい何が起こるのか、私は楽しみですが、 大部分の男の人には不愉快なことでしょう。でも現実には社会のなかの目立たな いところで少女たちの意識が先に変わっているのです。私達の世代と少女とのギャッ プ、またさらに少女と少年の間のギャップはそら恐ろしいほどの大きさです。 少し長くなってしまいました。でも自分の身の周りの現実には鈍感だが、マド ンナのヌードには知的きらめきを見たい男、とは滑稽な存在ではないか、と私は 言いたいのです。念のため確認しておきますが、私は著者の松浦先生のこと言っ ているのではありません。何十万人の読者、そう、今これを読んでいるあなた、 のことです。 この文章の初めに私は、「この本はオジサン受けする本だ」と書きました。 その意味がおわかりいただけたでしょうか。自分の存在が脅かされることはな い、という保証付きの知的アクセサリーだからです。そしてこの特徴は、マド ンナのヌードだけでなく、この本に出て来る多くの先生方の文章について言え ます。 いったい学生にとって学問は何のためにあるのでしょう。講義を聞いた後の 自分と聞く前の自分がちっとも変わっていなかったら、それは聞く意味がない と私は思います。オジサンと学生の違いは、オジサンはもう人生が出来上って いて変えようがないのに対し、学生はこれから世界観、人生観を作っていくこ とにあります。学生にとって、自分が生きていく方向を探り、自分の人生を切 り開く力にならないのなら、学問は単なる知的アクセサリーにすぎません。勉 強する気にならなくても不思議ではないでしょう。 理工学部の新カリキュラムでは、学生の勉強する興味を引き出すような科目 を工夫しました。たとえば経済学や法律学では、一般原理をはじめにやるので はなく、まず具体的な事柄から入って、自分を取り囲む状況や問題点を認識す ることから初めます。日本の経済や現代史などは自分が生きていく社会の現状 をとらえる直接的な助けになるでしょうし、女性学は女性なら生き生きと働く 人生のパワーアップになり、男性なら視野を広く人生を豊かにする助けとなる でしょう。他の科目も、一般論ではなく、現代の問題点に重点をおくように設 計しました。(日吉設置の科目では特に具体的なものから入って興味を喚起し、 矢上でそれを受けてより学問的に深くなるようねらっています。学生の方も少 し大人になって自分の人生とからめて勉強できるように) たとえば卒業してメーカーに行き、物を作る人生を選んだ学生が、自分の仕 事を社会のなかで位置付けられるように、また自分の人生を主体的に生きるこ とができるように、そのための基礎体力を大学時代につけさせたい、それが私 の新カリキュラムへの願いです。 Book review; 'Chinogihou' Eds. Kobayashi, Funabiki 1994 Mariko Kato, Dept of Astonomy (加藤万里子@天文学) 慶應義塾大学理工学部総合教育セミナーおしゃべりネットワーク1995.10 ps。自分の意見は自分で責任をもって言うことが大切です。匿名でなければ このページを批判することもできない人間になってはいけません。 批判するからには、このページと同じ位の長さで、自分の意見をきちんと 述べ、説得力のある文章を書いてみましょう。(それに、このページを 批判するからには、まず『知の技法』を読んであることが前提条件ですよ)