子供のいる風景--年会会場の保育室について

 オーバードクター5年目にようやく就職がきまったとき、私は妊娠中で
大きなお腹をかかえていた。夫が2年間アメリカ(ルイジアナ州)にでかけて
しまったので、出産後、私は大学の休みごとに乳児をつれて逢いに行った。
夏休みや春休みには1カ月だけ子どもを保育園に入れ、私は出張扱いで
夫の滞在していた大学で研究したこともある。

 私自身が、アメリカに2年間出張することになった時には、子づれ
単身赴任と称して、当時4才の子供をつれて行った。評判のよい保育園に
子どもを入れるのはアメリカでも難しいようで、長い入園希望者のリストが
あった。私はペンシルベニア州とイリノイ州の2か所を経験したが、幸い
どちらでも最優先で子供を預けることができた。大学院生やポスドクの人の
順番も飛ばしてしまったのは、どうやらイリノイ大学客員助教授の肩書きが効
いたためらしい(何事も中途半端はかえって不利というのが私の人生教訓である)。

 滞在先の天文学教室には女性研究者も多く、研究室に毛布を敷いて子供を
昼寝させることは珍しくなかった。アメリカ天文学会の年会にも子連れで
参加する人も多く、夕方には子供が急に会場にあふれ出す。アメリカでは
幼児におしゃぶりをあたえるから、子どもがいても会場は静かだ。自分の
席の隣にベビーカーを置いて講演を聞いている人もいた。私も会場のホテルで
紹介されたベビーシッターさんに娘をあずけた。でも食事があわないことと、
ホテルでは遊ぶ場所や玩具がないことが不便であった。

 さて帰国してみると、日本でも年会会場に幼い子供をよくみかけるように
なっていた。見るところ女性の天文学者はほとんど同業者と結婚している。
しかも観測屋は観測屋、理論屋は理論屋という風に世界が非常に狭い
(かくいう我が家もそうである)。したがって夫婦一緒に学会出張をすることも
多く、子供をどうしようかと悩む。私も会場に子供をつれていって隣にすわら
せたこともあるが、OHPを使う時には会場が暗くなるので子供は本も読めない。
頼れる実家が近くになければ結局、夫婦交代で会期の半分ずつ参加するは
めになる。

 年会会場に保育室があればいいなとは昔から思っていた。せっかく
年会実行委員になっていることでもあるし、他の委員も賛成してくれたので、
テンネットで学会員にアンケートをとり、意見をつのった。すると現実に
小さい子供を育てている人や子育てに苦労した世代から賛成意見がよせられた
ばかりでなく、さまざまな人から賛意を頂戴した。若い独身男性からも激励の
メイルが来て、時代の移り変わりをしみじみと感じ、また励まされた。そこで
保育室立ち上げのための電子メイルネットワーク(獅子座ネット)をつくり、意見を
出しあい、情報交換をした。読んで元気の出るメイルが飛び交って、私自身も
はげまされた。

 ここで寄せられた意見を少し紹介したい。まず、切実な声から。アンケート
からは、学会に子供を連れて来ざるを得ない事情があり、子づれで参加した、
または子供がいるために学会参加をあきらめた、等の経験のある人がかなりいる
ことがわかった。子供のいる人で自分の両親などが近くに居ない場合、学会の
たびに子供の面倒を見てくれる人を探すのが困難で、学会出張そのものが難しく
なる。遠方から参加する場合には、その宿泊地で子供を預けられないと困る。
ぜひ保育室を設置してほしい、という切実な声が寄せられた。

 また、保育室設置は若い人へのはげましになる、と言う声も強かった。結婚相手が
研究者である場合には、将来にわたって同じ場所に住めるとは限らない。その
ため子供を持つことを躊躇している若い人がたくさんいる。学会の会場で
保育室を作る等の動きは、出産をためらっている人にも朗報。また育児に忙しい
人に対する周囲の配慮を促すことにもなる、など。

 一方、保育室の設置に消極的な意見は、主に、万一の事故があった場合に
学会は責任をとれない、というものであった。ただし学会に子供をつれてくるのは
イカンという意見はみられなかった。事故の可能性に対しては、プロの保育者を雇い、
事故が起こらないように万全の注意をすることにした。シッターさんの派遣を
依頼した派遣会社は、イベントの託児室担当の経験が豊富で、保母・看護婦の
有資格者を派遣してくれる。また、事故に対しては子供とシッターの両方に適用
される保険にも加入している。さらに会場のどこかに親がいるので、その居場所を
明らかにしておいてもらうことや、食べ物は親が保育室を覗いたときに与えるなどの
ガイドラインを作った。また相互の誤解などが簡単に訴訟などに発展してしまわ
ないよう、獅子座ネットでの議論を徹底し、保育室設置の精神を理解してもらう
ように努めた。

 こうして97年春の年会(駒場会場)で、始めて保育室が設置された。駒場には
畳の部屋がなかったので、普通の教室から机と椅子を出し、水ぶきのゆか掃除を
してカーペットとベビーベッドを入れた。宇宙地球科学教室から、電子レンジと
冷蔵庫(ベビーフード用)を拝借してなんとか保育室らしくなった(写真参照)。
宇都宮会場では大学開館にタタミの部屋があったので、保育室への変身は楽で
あった。利用人数は97年春(駒場)では3家族4人から申込があり、利用は
3日間でのべ6人と見学の親子1組、秋(宇都宮)も同じ申込数で利用はのべ8人で
あった。東大駒場、宇都宮大学の方には何かとお世話になり感謝している。

  利用者の評判は「これまで遠方から自分の親に無理をいって来てもらい、子ども
を預けなければ、学会に参加できなかったので、絶対に出なければならない時に
しか参加ができなかった。今回は気楽に参加できてとても助かった」「保育室の
設備やシッターさんなど環境がととのっており、安心して子どもを預けられて
よかった」「会場の近くなので講演が終ればすぐ子どもの様子を見にいけてよい」
「子どもが楽しく過ごせた」などの感想が聞かれた。

  保育室は次回の都立大と山形大学でも設置する予定なので、どんどん利用して
いただきたい。年会に参加する会員なら誰でも利用できる。学生の方も遠慮しないで
利用してほしい。講演発表をしなくても、つれあいが天文学会員でなくても全く
かまわないのだから。保育室に子どもがあふれて困るような時代が早くこないかなと
期待している。

 保育室の設置は一度やってみれば意外に簡単だった。秋の年会では、保育室が
まだ2回目だというのに、「保育室もすっかり軌道にのりましたね」と何人も
から言われ、あらためて天文学者の状況変化への柔軟さを感じた。やり出す
までの模索段階が大変なので、他の学会にも同じような状況で困っている人もいる
だろうと考えて、天文学会のホームページに保育室設置の情報をのせた。保育室
設置の経過や議論、アンケート用紙や保育概要など、他の学会ですぐまねして
使えるようにしてあるのでご活用いただきたい。

  保育室設置について、これまで多くの学会員に暖かな応援をいただいてきた。
あらためてここで感謝したい。
               年会実行委員長 加藤万里子(慶応大学)


写真caption
1.保育室風景。シッターさん力作の張り絵のおかげで暖かな雰囲気になった。
2.保育室の親子2組。
97年春の年会(駒場)での保育室の様子

(c)日本天文学会 (天文月報原稿 98年2月号)