書評 「MY LIFE -- Twenty Japanese women Scientists」内田老鶴圃 2500円 いろいろなことを考えさせてくれる本である。まず表紙カバーには、女性 20人の写真が並ぶ。みな猿橋賞を受賞した科学者で、受賞順に、太田朋子、 山田晴河(故人)、大隅正子、米澤富美子、八杉満利子、相馬芳枝、大野(さんずい+泉)、 佐藤周子(故人)、石田瑞穂、高橋美保子、森三和子、加藤隆子、黒田玲子、白井浩子、 石井志保子、川合真紀、高倍哲子、西川恵子、持田澄子、中西友子さんである。 それぞれが、自分の子供時代から現在までのことや、研究内容について綴っている のが本書である。 <<少女時代からすくすくと?>> 科学者になる人はどんな子供時代を送るのか。小さいころから、自然が好きだった とか、よく質問する子供だったという人が目立ち、小学生のこづかいで顕微鏡や ビーカーを買って実験して遊んだというエピソードもある。一方で、ごく普通の 子供だった、小説家になりたかった、専業主婦になることを疑わなかった、あるいは 算数が苦手だったという数学者もいる。男性の科学者も同じようなものだと思うが、 比較できる本がないのが残念だ。 <<専門との出会い>> 大学教員をしていると、大学1年生からよく聞かれる質問に、どの学科に進めば いいのかわからない、大学院はどの分野が将来性があるかというものがある。その 時には、「大学時代にはよく遊び、よく学べ、そして恋愛しろ」と言うことにして いる。自分を知らなければ学問との相性はわからない。球技にもサッカーやバレー ボールと卓球では違うだろうし、オーケストラの楽器が好きでも、バイオリンとチェロ では、自分との相性も違う。学問も同じことで、勉強して学問の内容も知り、自分の ことも知ったうえでないと、相性などわかるわけはない。とりあえず勉強していれ ば、ある程度は自然にしぼれてくるものだと思う。 とは言っても人生のこと、努力の他に運やめぐりあわせもある。この本にも、第一 志望の大学に落ちて第二志望に入学したら希望の学科がなかったためとか、公務員 試験があるのを知らなくて旅行に行ってしまい、故郷の薬剤師になりそこねた、 就職難で選択の自由が全くなかったなど、いろいろなハプニングが出てくる。 すくすくと研究者への道をあゆんだ人も、大学院に入ったころに、その分野が新しく 発展しつつある時期だったら、大きな研究成果をあげやすい。でもそんなことは、 たいてい大学院に入った後でわかるのだけど。 <<周囲のはげまし>> どうして女性が理系にすすむのか、についての研究書に、「女性の理系能力を行か す--専攻分野のジェンダー分析と提言」(村松泰子編:日本評論社)がある。日本 では一般に男性の得意分野とされている理系に女性がすすむ要因として、家庭環境や 教育環境にめぐまれ、周囲の人々のはげましがあることが指摘されている。また女子 高では、ジェンダーを意識せずに自分のやりたい分野を選ぶため、共学校に比べて、 理系進学者が多いこともあげられている。その目でこの本をみると、なるほどその 通り、とうなずけることが多い。 さらに若手研究者にとって、研究者として自立していく時期と、就職・結婚・出産・ 子育ての時期が同時にやってくる。この時期をどう乗り越えるかが、男女に限らず、 大きな難関である。この本で何人もの人が、研究室の教授が男女の区別なく平等に 扱い、真剣に議論してくれたことはラッキーだったとか、助手や技官として就職した 研究室が自分の研究をさせてくれるところだったので、研究者として成長することが できた、夫のはげましもあり、別居して博士号をとった、外国に行った等と記してい る。外国に行って異なる文化にふれ、女性の教授の活躍があたりまえである雰囲気に ひたるのもパワーとなる。 逆に、就職がなければ女は結婚したらよいとの教授の発言もみられる。研究環境 にめぐまれない(多くの)女性が、能力を発揮する機会のないままになるだろうことは 容易に想像できる。 <<ロールモデルとして>> 就職、研究テーマの展開のしかた、結婚、外国生活、出産、子育てなど個々の事例に ついては本書をぜひ読んでいただきたい。20人もいれば、自分の生き方の参考になる 事例がどこかに載っているだろう。 また、それぞれが文章の最後に、若い人へのアドバイスをあげている。戦いつづけ なさい、いつかは努力がむくわれる、女性へのアドバイザーは女性とは限らない、 どんなに辛くてもユーモアを忘れないで等。また男性の同僚の前では、絶対に辞め たいともらしてはいけない、うっかり口走ったために、辞職に追い込まれた女性が 何人もいる、などは女性研究者があまりにも理不尽で辛い立場におかれていることを 示すものでもある。 日本的にいうならば、行間を読め、というのだろうが、これが研究者として一流の成 果をあげてきた人々の言う言葉なのである。日本の学術体制の欠陥を示しているので はないだろうか。受賞者の多くが、今後は人を励ます役に回りたい、あるいは女性 研究者の環境改善に努力したいと、それぞれのタイプや事情に応じて書いている。私 の年齢になると、これらは、自分のための戦いの、自然な延長なのだということが わかる。 <<英語で読もう>> この本が英語で出版された理由は、外国に日本の女性科学者の現状を知らせる目的 のためである。英語はとても読みやすく、楽しめる。ただし、研究内容について 語っているところは、当然のことながら専門用語が出てくる。小さな辞書には出て いない用語もあるし、どうせ知らない専門領域のこと、英語を日本語に置きかえたって 意味がわかるわけじゃない。そのまま読んでしまおう。研究に対する姿勢や、研究 テーマをどのように発展させていったのかを知りたいのだから。なお、国内の読者の ために、20人の名前の漢字表記がどこかにほしい。 女性科学者にとっては別な利用方法もある。日本の男尊女卑社会については、 外国でも知れわたっているので、国際会議などで、日本の女性科学者の現状に ついて聞かれることも多い。巻末には、大学の学生や教員の女性の割合などの データもついている。苦労話の英語表現はそのまま使えるし、プレゼントとして この本を持っていくのもよいだろう。 <<「猿橋効果」>> 猿橋賞の応募資格は50歳までなので、受賞者は40代後半の人が多い。受賞時点 で、まだ教授になっていない人が過半数である。男性だったら、このように国際的 に一流の成果をあげていればもっと昇格は早いに違いない。その証拠には、猿橋賞を 受賞した直後に、教授に昇格した人が何人もいる。また、猿橋賞を受賞したことで、 あまり知られていない分野に光があたる効果もある。これらを「猿橋効果」と言う そうである。 小さな分野や境界領域では、同じ分野の研究者が身近にいないため、大学内で 評価されにくい。周囲からてっきり教授のお手伝いだと思われていたため、受賞の ニュースにとても驚かれた、という話も女性であるから出る話だろう。 <<女性にきびしい研究環境>> 女性研究者の状況を示す統計に、たとえば Science に出た物理学科の女性教員の 国際比較がある。日本の女性の割合はとても低く、31か国中で最低である。 (科学1998年6月号xxページ、あるいは、パリティ2001年9月号57ページ)。 また、日本の大学では業績が同程度の研究者を比較しても、女性は男性より低い地位 (劣悪な研究環境)におかれていることも統計的に明らかになっている。(科学1985 年4月号p.244)、 この本は、トップレベルの業績をあげた女性だけに絞っても、ジェンダー構造が 色濃く影響していることを示している。 まず、研究者への最初のステップである就職に苦労している人が多い。職についた 後でも、一流の業績をあげているにもかかわらず、助教授や教授への昇格がとても 遅い。助手のまま14年、16年とおかれ、教授に昇格するのに50台後半や定年 直前などという状況の人が目立つ。淡々とした記述であるが、これは女性研究者が 道をきりひらくために戦わねばならない状況の、ごく一部を表しているだけである。 こういった努力をしなくてすめば、どれだけ研究にその力をふりわけられること だろうか。もっと早く助教授や教授になって、研究室を運営し、大プロジェクトの リーダーになったら、すぐれた業績をもっと早くあげていただろうと思われる人も 多い。もったいない話である。 <<構造改革の必要性>> この状況を改善するには、どうしたらよいのだろう。日本社会の男尊女卑の根は 深く、アカデミズムの細部にまで浸透している。教授のお手伝いだけでなく、自分の 研究テーマを研究したいと主張するだけでいじめにあう、出産や夫の転勤の機会に これ幸いと辞職をうながされる、別姓を使用するだけで嫌がらせを受ける、セクハラ 被害をうったえると、陰湿なリベンジが待ちうけている、などはあちこちでよく聞く 話である。優秀な女性研究者ほどセクハラの被害をうけている、という報告もある。 私見では、これは研究能力で劣っていることを認めたくない男性のいやがらせだと 考えているが。。。私自身は、就職、別居、別姓、出産・子育てをやっとクリア したと思ったら、セクハラの二次被害のために休職し、その後「業績以外の理由」 という理由で、教授への昇格が認められなかった。精神的被害のため集中力が 低下し、研究者として40代の6年間を失ったダメージは大きい(最近ようやく回復 してきたので、ご安心を)。でもこんなことは氷山の一角で、日本中の女性研究者が さまざまな目にあっている。この悲惨な状況は、対症療法ではとても改善できない。 <<日本で女性のノーベル賞受賞者が出るのはいつ?>> 日本政府は科学技術基本計画で、欧州並に50年間にノーベル賞受賞者30人を出す ことを目標にかかげた。その中に女性の受賞者は予想しているのだろうか?そうだと したら、その女性たちは、この本の20人に含まれているのだろうか。 日本の研究体制は、優れた女性研究者を生み出すシステムになってはいない。優秀な 女性研究者を生み出すシステムは、優秀な男性研究者を育てるシステムでもあるのに (理系の女の歩き方ガイド:講談社ブルーバックス)。女性のノーベル賞受賞者をコン スタントに出すようになってはじめて、日本の科学技術の研究水準が欧州並になる と言えるのではないだろうか。 加藤万里子:慶應義塾大学(c)Web 版 「科学」 岩波書店 2001, 71,1631 (12月号) 書評 「MY LIFE -- Twenty Japanese women Scientists」内田老鶴圃 2500円 Editors:Y.Kozai, S.Kawashima, T.Tominaga, T.Hisatome, K.Saruhashi ISBN4-7536-6181-4 C1040