定例セミナー
4月25日 仙葉豊(大阪大学) 「漱石にとって神経衰弱とは何であったか」
5月23日 槫沼範久(東京大学) 「人間機械論―精神分析、サイバネティクス」
6月20日 櫻井文子(東京大学) 「そぞろ歩く身体―自己表現としての散歩」
9月26日 市野川容孝(東京大学) 「医療の歴史社会学」
10月24日 熊倉敬聡(慶應義塾大学) 「エイズ・権力・愛をめぐるパフォーマンス―ダムタイプの『S/N』」
11月28日 栗山茂久
(国際日本文化研究センター)
「緊張感の考古学」
12月19日 中山徹
(静岡県立大学短期大学部)
「規律的権力と昇華の美学―ジョイス、フィジカル・カルチャー、優生学」
1月9日 村山敏勝(成蹊大学) 「Dickens,Martin Chuzzlewit の詐術的医術 」

ワークショップ
2002年3月25日
SessionT 中村哲子 (日本医科大学) 「育てる者・育てられる者 ― Maria EdgeworthのEnnui (1809)を中心に」
SessionU 横山千晶(慶應義塾大学) 「ジョセフ・メリックの左手 ― 『エレファントマン』の意味 するもの」
SessionV 真嶋 亜有(ICU) 「肉食という体格改良への道 ― 近代日本における食肉需要と体 格意識」
SessionW 北澤一利
(北海道教育大学)
「運動の抽象化と歴史観念」
SessionX 坪川達也(慶應義塾大学) 「脳と運動、進化から発達まで」
SessionY 坂井建雄(たつお)
(順天堂大学)
「人体解剖体験をどう受け止めるか」
SessionZ 青柳幸利
(東京都老人総合研究所) 
「元気で長生きの十か条 ― 高齢者における歩行機能の重要性」
2002年3月26日  
SessionT 木下誠 (日本学術振興会 特別研究員) 「D・H・ロレンスの優生学的身体とホモエロ ティシズム」
SessionU 伊藤正範 (釧路公立大学) 「コンラッドの『密偵』における退化論とモダニズムの語りについて」
SessionV 大田信良(学芸大学) 「ウルフの反成長物語と優生学の言説があぶりだすもの ― 『ジェイコブの部屋』におけるサフレジズム」
SessionW 松本展明(ひろあき)
(東邦大学、関東学院大学) 
「人間の原初的段階における運動と成長」
SessionX 小沼純一 (早稲田大学) 「身体から音楽へ/音楽から身体へ」
SessionY 松澤慶信(舞踊評論家)&
和栗由紀夫(舞踏家)
「身体感覚の変容」
定例セミナー・ワークショップ 発表要旨
仙葉豊(大阪大学)
「漱石にとって神経衰弱とは何であったか」
 周知のように、漱石にとっては、神経衰弱とは大きな問題であった。ただ、この神経衰弱という問題は、どちらかというと、現代の精神医学的な分類という観点からの議論が多く、漱石の生きた明治期における文脈を無視した議論があまりにも多すぎるというきらいがあるように思える。現代における医学的な分類基準から漱石の心の病を考えるというよりはむしろ、明治期の精神医学という当時の一般的に受容されていた観点から、漱石の神経衰弱の現実を当時の実情に合わせて捉えなおしてみたい、というのが基本的なこの発表の立場である。そのために、貌徳斯礼(モードスレイ)著、神戸文裁訳の『精神病約説』(明治9年11月)から始まるという、わが国の西欧の精神医学の受容の歴史を明治末年までたどりながら、 神経衰弱という流行病が、明治30年代の後半から、洪水のように流入してくる時代の流れを概観した。さらに、漱石の『吾輩は猫である』(明治38年)の書かれた年の7月に出版された後藤省吾の『神経衰弱症』は、実に、明治40年までに改訂7版までを出すほどの大ヒットなることになるわけだから、漱石の『猫』は、このような背景を考慮に入れると、実際は「神経衰弱小説」といってもいいような側面をもっていることを例証した。この発表では、漱石文学のもつ世界的な広がりを、神経衰弱というテーマから追求して、さらに、その起源といわれる、アメリカの神経学者のGeorge  M.. Beardの American Nervousness(1881)  と Sexual Neurasthenia(1884) の2作を紹介し、 ドイツ経由での日本における神経衰弱の流行と漱石文学における広範囲な影響を、当時の精神医学の実情に重ねて解釈しなおそうとしたものである。 定例セミナーのプログラムに戻る

槫沼範久(東京大学)
「人間機械論―精神分析、サイバネティクス」
第二次世界大戦末期のロンドンを次々と襲うドイツのV2ロケット。それを調査しながらも魅力的な女の子たちとのセックスが絶えない米軍中尉スロースロップ(妄想の可能性あり)。彼はロンドンの地図にセックスをした場所★、その日付と女の子の名前を書きこんでいる。どういうわけか地図の★はすべてロケットが落下した地点にぴったり一致。ところがロケット来襲のころ彼は★からズレ、また次のロケットが発射され、彼の性欲は高まり、地図に★が書きこまれ、そこにロケットが落下する。V2ロケットとスロースロップの性欲とが自動的な循環回路を成す<機械>の可能性、それをピンチョン『重力の虹』は描いている。
  かたや『サイバネティクス』のウィーナーは第二次世界大戦時、ドイツの爆撃機やロケットを砲撃するためにレーダーのノイズを濾過して情報を抽出。標的の軌道を予測するのみならず、予測とのズレを調整して砲撃するフィードバック機構を製作していた。ウィーナーによれば、情報抽出とフィードバック機構による「循環するプロセス」は機械においても人間においても同じように働いている。さらには、機械も人間もともに「反エントロピーのプロセス」として考えられる。熱力学の第二法則にしたがえば、閉じた物質系は混沌とした一様な状態へとエントロピーを増大させていくが、人間=機械においてはエントロピー増大による熱死に抵抗して組織/情報が作られ、ホメオスタシス(恒常性)が維持されていくからだ。
 フロイトの『快感原則の彼岸』もサイバネティクスと同じく、エントロピー増大の法則とホメオスタシスの原則を前提にしているようにみえる。興奮量をできるだけ低くして快を得ようとする「快感原則」、そのすえに有機物を死へと溶解させていく「死の欲動」、それに対して興奮量に恒常性を与える「恒常原則」。しかしラカンが『精神分析の四基本概念』で強調するように、フロイトのいう「欲動の目標」は、身体の縁から出て、欲望の対象を巡回したあと、ふたたび身体の縁へともどる回路を循環すること自体にあるのではないか。ラカンも欲動の根底は「死の欲動」と言ってしまっているが、欲動の循環する回路は、むしろ死という平衡には至らない永劫回帰を
人間に強いるのではないか。サイバネティクス的なホメオスタシスの平衡からも死の平衡からも外れたところで回路を無限に循環する<欲動機械>の反復強迫。「死の欲動」からも外れる欲動の可能性。ここには<欲動機械>に駆動される「自動人形」としての人間が住んでいる。 定例セミナーのプログラムに戻る

櫻井文子(東京大学)
「そぞろ歩く身体―自己表現としての散歩」
 許されぬ恋の逢瀬の間にささやかれた、「あそこの歓楽街をあなたと行ったり来たりできたら」という、『迷路』(フォンターネ作、1888年)の主人公レーネの言葉が意味するものは何だったのか。報告では、この素朴な疑問と手がかりに、19世紀のベルリンの街路という、公的な空間をそぞろ歩くことの意味を考えてみた。

 19世紀の前半、いわゆるビーダーマイヤー期、市民の散策の空間は都市の「外」の自然から都市の「内」にある自然、つまり公園や街路そのものへと移動した。それとともに散歩という行為自体もまた、自然の中での美的体験から、日常生活の中における社交の行為へと、その意味を変えた。この、都市空間を闊歩する19世紀の市民たちの姿はまた、彼らによる都市空間のアプロプリエーションも意味した。ベルリンのウンター・デン・リンデンやティーアガルテンは、今や市民たちの格好の散策の地だったが、これらの空間は、そもそも王権を誇示するためにしつられられたものだった。それが今や、市民たちが、自らがそぞろ歩く姿ム身体を誇示する、散策の空間へと変容したのである。散歩を支配する、距離の取り方や挨拶、会話のコード、さらには見るべきものとしてしつられられた記念碑の存在が示すように、この空間では、見るム見られるという視線のやり取りが、そこでの行動を律していた。この舞台化した、プロムナードや公園は、そこを闊歩する市民たちが自己表現するための公共性と呼ぶこともできるだろう。

 このような、日々の社会的な確認の行事としての散歩を裏打ちするものとして、空気によって駆動される「機械」としての、身体の実感があった。当時の百科事典や養生訓で繰り返し説かれる、新鮮な空気を吸いながら、身体をたえまなく動かし続けることの大切さは、規則正しく動かし続け、調整し続けなければ錆び付いて不調をきたしてしまう機械として、身体を捉える感覚に支えられていたのである。
 
 その視点で今一度『迷路』の舞台になったベルリンの街路に立ち返ると、そこは、機械化した市民の身体だけがそぞろ歩くことを許された、彼らが互いに監督・調律しあうれた舞台・サーキットとしての空間 ー 世を忍ぶ恋人たちにとってははなはだ不似合いな空間である ー として、読み替えることができるのではないだろうか。 定例セミナーのプログラムに戻る

熊倉敬聡(慶應義塾大学)
<「エイズ・権力・愛をめぐるパフォーマンス―ダムタイプの『S/N』」
 ダムタイプは、1984年京都で結成されたアーティスト・グループである。コラボレーションとマルチメディアを組織・制作のキー・コンセプトとし、パフォーマンス作品を中心に国内外で高い評価を得ていた彼らは、しかし、90年代始め、グループ内に度しがたい問題を抱える。メンバーの一人、古橋悌二のHIV感染である。このあまにリアルな問題を突きつけられた彼らは、長い呻吟ののち、大きな移動を開始する。プロジェクト『S/N』は、エイズ、セクシュアリティ、マイノリティ、言説の権力などを巡り、アイデンティティとは何か、コミュニケーションは可能か、を改めて問いなおす。またそれは、「ハイ・アート」/「ロー・アート」、「上手」/「下手」などの境界線を無効化するとともに、「虚構」と「現実」のあいだに自らを宙吊りにする。またそれは、単なる「作品」の創造にとどまらず、京都という都市の中に、新たな文化の醸成装置とすべく、様々な「場」を作っていった。こうして、その後の日本の文化シーンに大きな影響を与えたアート・センター・プロジェクトや、カフェ・プロジェクトを展開していった。彼らが、この時期行なった特異で突出した活動の記憶を、我々は忘却の淵に沈むがままにしてはならない。 定例セミナーのプログラムに戻る

中村哲子(日本医科大学)
「育てる者・育てられる者 ― Maria EdgeworthのEnnui (1809)を中心に」
 Maria Edgeworth(1768-1849)のEnnui(1890)は、アングロ−アイリッシュのGlenthorn伯爵の成長を描いた小説である。本発表は、この主人公を支えた4人の女性に目を向けながら、彼のアイデンティティー確立の過程でジェンダーの問題がどのように絡んでいるかを考察した。
 イングランドで自堕落な生活を送っていた主人公の伯爵は、最初の妻であるLady Glenthorn、乳母であり実母でもあったEllinor、思いを寄せたアイルランド貴族のLady
 Geraldin、再婚相手のCecilia Delamereのお陰で、アイルランド人として目覚め、後に封建社会に対抗する新興勢力のシンボルである法律家として大成し、一旦捨てた伯爵の地位を再び獲得する。特に、主人公が乳母だと思っていたEllinorが、預かった伯爵家の後継ぎを自分の息子と取り替えていた事実は、主人公のアイデンティティーを不透明なものにしており、Edgeworth家のアングロ−アイリッシュとしての立場も手伝って、イングランドとアイルランドの関係の複雑さを示すのに効果を発揮している。伯爵が封建的な血筋による束縛から解放され、そのジェンダー意識にも変化が生じた後、彼は新たな支配者層の一員となっていく。1801年のアイルランド併合をイングランドとアイルランドのリベラルな結婚として前向きにとらえるEdgeworthの姿がそこにあるといえよう。 ワークショップのプログラムに戻る

横山千晶(慶應義塾大学)
「ジョセフ・メリックの左手 ― 『エレファントマン』の意味 するもの」
 2身体上なんらかの奇形を呈する人々は、いつの時代にも見世物になってきた。19世紀末のイギリスの代表的な奇形児に挙げられるジョセフ・メリックとて例外ではない。しかしながら、彼がたんなる見世物という存在を超えて現代に至るまでその名をとどめているのは、19世紀後半というさまざまな価値の転換期が20世紀後半に脚光を浴びると同時に、それらの価値観の衝突を体現するものとしてメリックが浮上してきたからだといえよう。
   いまだにその病名が確定できないメリックの骨と皮膚のdisorderは、19世紀になっても根強い胎内感応の考えや、進化論に基づいた退化現象の表われとして、当時の大衆に広まっていた擬似科学観を体現している。同じく解剖学の発達の中で、彼は病理学会において生きた症例として呈示され、医学という場での今ひとつの見世物となったが、ここで重要となるのはメリックの身体には、冒されていない部分がふたつあったということである。すなわち美しい左手と正常な男性器である。このふたつはメリックの人間としての地位を確実なものにすると同時に、表情によって感情を表すことができないという事実とあいまって、その存在を性的にも人格的にもアンビバレントなものに仕立て上げる。
 本発表は見世物としての「エレファント・マン」が、どのようにして医者から見た「症例」として「人格」として、そして文学作品や映画のインスピレーションとして、現代に至るまでさまざまに解釈され続けているのかを追ったものである。 ワークショップのプログラムに戻る

真嶋亜有 (ICU)
「肉食という体格改良への道 ― 近代日本における食肉需要と体 格意識」
 近代日本社会史における身体研究では、徴兵制による身体検査、スポーツ奨励・運動会・ラジオ体操・衛生管理・栄養科学といった国家的諸政策が、軍事的・産業的、つまり「近代的身体」を日本人の身体観に構築させたと結論付けられてきた。そのモデルは「西洋人」の身体があり、近代日本が抱いた欧米列強への軍事的劣等意識が人々の身体観にまで還元され、その過程で日本人は自らの身体を否定し劣等視した。更には、日本の国民国家形成過程において日本人の西洋人との交流を通して、しだいに自らに対する身体劣等感が形成されていった、と指摘されてきた。然し具体的に当時日本人がどのような身体箇所に劣等意識を抱き、それはどのように言説として顕れたのかは、充分に明らかにされていない。
 従って本報告では、近代日本において身体劣等感は如何に語られ、「近代的身体像」が創りあげられてくるプロセスを明らかにすることをテーマとした。田口卯吉や海野幸徳、大隈重信を始めとする知識層は日露戦争前後から、「一等国」に相応しない日本男子の容貌の「醜悪」を嘆き始める。それに応える様に明治後期・大正期には新聞や『太陽』をはじめとする総合雑誌メディアに容貌改良術(長身術、強壮剤、男性ニキビ、腋臭、男女共用脱毛剤、美白、美容整形など)の宣伝広告が賑わうようになり、身体改良が商業利益になりうる需要を見せ始める。一方日本女性は西欧女性に流行る豊胸手術、豊胸下着に戸惑いを感じながらも鳩胸体操に励む。これらの意識形成には、和装から洋装への生活様式の変化、髪型を始めとする生活上のゆるやかだが、確実に進行する西洋化、其の上での恋愛、社交、軍隊といった生活の変化は文化、そしてこの時期に奨励され至る処で開設された水泳場、運動会、体操場など所謂「近代的身体美」を形成する場の出現が社会背景を成している。其の後の近代西欧におけるフィジカル・カルチャーと類似点を見せながらも、審美的価値基準の細部には、近代以降変容しきれていない日本社会構造から派生した、「日本的」な身体へのまなざしが持続されていくのである。「近代的身体像」は、優生学的思想や人種意識や、いわば「伝統的美意識」などを交錯させながら、性欲装置や自己愛の対象として人々の審美眼を構築していく、近代日本の社会的・文化的多様性が絡み合った記号となっていったのである。 ワークショップのプログラムに戻る

坪川達也(慶應義塾大学)
「脳と運動、進化から発達まで」
「脳と運動」というテーマで、私がヒトの行動の特性としてあげたいのは、「ヒトにとって、完全な静止状態よりも、ある種の反復運動(リズム)のある状態、つまり、踊りや歌、ある種の運動のある方が、自然ではないのか?ということです。民俗学的にいっても、文字はなくとも、踊りを持たない民族はなかったわけで、ヒトの特性として、踊りや歌、運動が重要なものであるのは、確かなものだと考えられます。そして、そのようなことがおきるのはやはり「ヒトは、そのような状況、踊り、歌、運動において脳である種の快感を得ているのではないか?」という疑問です。「その答えは 運動神経回路の進化を追うことで、明らかになるのではないか」と考え、運動神経回路の進化と成長をながめていきました。まず、最も原始的な運動神経回路として、魚類胚の逃避反射回路を取り上げ、さらにそれを利用した魚類の泳ぎ(体壁筋の往復運動)が成立し、パターンジェネレーターとそれを抑制的に制御する線条体―黒質系が中心となり、ある種の反復運動(リズム)と快感物質ドーパミンの関連について考察しました。そして、初期両生類、哺乳類、ヒトの進化の過程と運動神経回路の変化と発達を俯瞰しました。そして、ヒトの運動神経回路にもその中心にパターンジェネレーターとそれを抑制的に制御する線条体―黒質系が存在することを確認し、 その存在が最初の疑問の答えとなる可能性を示唆しました。
ワークショップのプログラムに戻る

坂井建雄(たつお)(順天堂大学)
「人体解剖体験をどう受け止めるか」
 医学・歯学およびコメディカルの教育において、解剖学は必須の教科とされており、人体解剖実習はその最高の教育手段である。しかし人体解剖実習には、制度上・倫理上の強い制約があり、さらに献体により解剖体を収集し、その保存処置を行うための人的な労力、遺体を保管しさらに実習を行うための専用の施設と設備、さらに献体登録者との日常的な連絡や、死者に対する礼節に当然必要とされる経費など、人的・財政的に膨大な負担がある。人体解剖実習は、教育効果も大きいが、きわめて贅沢な教育手段である。
 人体解剖の教育効果というのは、体験としてのその強烈さに由来する。人体解剖の経験は、身体の構造についての具体的なイメージを体験として与えてくれるが、それと同時に、人体にメスを入れることについての漠然とした抵抗感も、取り除く。その二点で、人体解剖実習を体験した人たちは、それを経験していない人たちとは、はっきりと違ってしまう。
 世の中に、人体解剖を体験した人と体験していない人のどちらが多いかと言えば、もちろん体験していない人の方が、圧倒的な多数派である。その意味では、人体解剖の体験のない人が正常であり、人体解剖の体験を通して新しい身体観を得た人は、正常の域を越えているのかも知れない。しかし自己決定・自己責任の原則のもと、インフォームド・コンセントを前提として医療が行われるとすれば、人体解剖体験を通して得られるボディーイメージは、患者自身にも必要なものになってくる。人体の各部・各器官についての具体的な実在感を体得しないで、自らの身体について的確な判断を下すことが、果たして可能であろうか。その意味で、人体解剖体験というものは、もはや医療従事者が独占すべきものではなく、それを希望する多くの人に提供されるべきである。それを可能にする環境を作ることが、今後の大きな課題ではないかと考えている。
ワークショップのプログラムに戻る

青柳幸利 (東京都老人総合研究所)
「元気で長生きの十か条 ― 高齢者における歩行機能の重要性」
 東京都老人総合研究所は、秋田県N村の65歳以上の住民約1000名(人口の9割以上)を対象に、1991年より10年にわたる学際的縦断調査を行った。その結果、高齢者にとって、歩行能力(速く歩けること)が大変重要であるということが分かった。若齢者とは対照的に、高齢者では通常あるいは最大歩行速度と筋力や平衡機能など一般的な体力指標との間に有意な正の相関が認められた。また、歩行速度と日常生活動作能力(自立度)の低下率、転倒や寝たきりの発生率、余命(健康寿命)など、高齢者にとって極めて重要な因子との間にも密接な関係が見られた。
 さらに、最近の我々の研究により、速く歩ける高齢者ほど、脚筋力(等尺性膝伸展力)はもとより全身持久力(最大酸素摂取量:VO2max)も高いことが分かった(男女とも、最大歩行速度と両体力項目の相関係数は0.9前後)。また、高齢者では、性差も個人差もほとんどなく、各自の最大歩行速度の60%前後で歩くことが適度な(酸素摂取および心拍予備能の50%に相当する)運動であるということが明らかになった。
 なお、これら2種類の歩行速度(通常あるいは最大歩行速度)はそれぞれ、スタートからゴールまでの11mのうち、3〜8m区間の5mを普段の歩きやすい速さで、あるいはできるだけ速く歩くのに要した時間から算出した値である。詳細は拙著「高齢者の運動ハンドブック」(米国国立老化研究所・東京都老人総合研究所運動機能部門著, 青蜊K利監修, 大修館書店, 東京, 2001; 2002年3月に初版第3刷が刊行された)を参照されたい。 ワークショップのプログラムに戻る

伊藤正範 (釧路公立大学)
「コンラッドの『密偵』における退化論とモダニズムの語りについて」
 コンラッドの『密偵』における観相学的語りは、外見描写をもって登場人物達の退化(degeneration)を強く意味づけようとする。そうした意味づけへの衝動と密接に結びついているのが、語りに潜行する偏見的な階級意識である。そもそもロンブローゾの観相学が、十九世紀末、イギリスに浸透するきっかけとなったのも、社会主義運動に不安を抱く中産階級のエリート意識であった。そうした階級主義は、観相学的語りという形をとってテクストを支配するのである。しかしながら、観相学的語りによる意味づけの一貫性は、スティーヴィーの死によって破られる。精神薄弱者としての退化の徴候を明確に抱える彼の身体は?爆発し断片化することによって、そこに意味づけを求める視点を不安に陥れる。さらに、この不安は姉のウィニー、そしてアナーキストのプロフェッサーによって受け継がれていく。彼らの身体的奇形に注目する語りは、彼らを明確な退化者として描き出しながらも、その狂気の力への不安をあらわにするのである。このように、意味づけへの衝動と意味づけ不能なものへの不安という二つの相反する要素を同時に内包する『密偵』の語りは、実は、当時の社会ダーウィン主義言説における二重性を反映している。社会ダーウィン主義の基盤となるラマルキズムが、エリート主義的な社会秩序を支持する一方で、そのもう一つの基盤となるダーウィニズムは、階級侵犯へとつながる無秩序な変化を承認するものだったのである。コンラッドのモダニズムと言われる語りの淵源を、こうした社会科学言説における二面性に見いだしていくのが本発表の最終的な目的である。 ワークショップのプログラムに戻る

大田信良(学芸大学)
「ウルフの反成長物語と優生学の言説があぶりだすもの ― 『ジェイコブの部屋』におけるサフレジズム」
 二十世紀初頭英国モダニズム期における優生学の言説を、サフレジズムとの関係に注目して再解釈する可能性を提案した。具体的には、いわゆる女性参政権を求めるフェミニズムとは無関係である、あるいは、むしろ対立すらする、とみなされてきたVirginia Woolfの Jacob’s Room(1922)を、まずは、Elizabeth Robinsの The Convert (1907)、Rebecca Westの The Judge (1922)といったサフレジズム文学における“unmarried mother”および“the feeble-minded”の表象を通じて読み直した。ウルフのテクストでは主人公ジェイコブのつきあうフロリンダという女性キャラクターに端的に具現されたこれらの表象は、(Christablel Pankhurst等のサフレジストとは一応のところ区別されるべき)Elizabeth Sloan Chesser、Mary Dendy、Mary Scharliebなどの優生学的フェミニストが社会的コントロールの標的とした存在にほかならなかった。こうして優生学の言説は、従来のサフレジズムあるいはフェミニズムのとらえかた、たとえば、女性参政権という政治的平等の要求vs.女性主体の性的解放といったElaine Showalterの解釈図式では十分扱うことのできなかった社会・政治的レヴェルを解釈の対象として主題化することを可能にする。『ジェイコブの部屋』の読みも「教養小説のパロディ」といった解釈ではすまなくなる。
 ただし、ジェイコブはフロリンダとは別れ「帝国の母」的なサンドラとの不倫関係にひそかにそして非常に巧妙に「成長」することを強いられるようであり、と同時に、このテクストはそうした積極的優生学や衛生学の力に抵抗するような救貧法の表象(“out-door relief”)を クララという第三の女性フィギュアによって提示している。この優生学と救貧法の差異にまつわるテクストの齟齬にこそ、ウルフの反成長物語とThe Convertなどのテクストに共鳴するサフレジズムは、あぶりだされているのではないか。また、Greta Jones, Social Hygiene in Twentieth Century Britain (London: Croom Helm, 1986), Mathew Thomson, The Problem of Mental Deficiency: Eugenics, Democracy, and social Policy in Britain, c.1870-1959 (Oxford: Clarendon, 1998)があきらかにした一枚岩どころか幾重にも異種混交した社会的諸力からなる優生学の言説も、さらに、このようなサフレジズムによってあらたに再考することができるのではないだろうか。 ワークショップのプログラムに戻る

松本展明(ひろあき)(東邦大学、関東学院大学)
「人間の原初的段階における運動と成長」
 精神分析やフロイトに関して、ここ100年の間に様々な分野で圧倒的な引用・参照が行われてきた。それらの多くは、分析理論を経験的理論として想定しながら、その経験性の根拠については少しも問わず、実際には言語芸術として扱っているように思われる。そうした不整合から産出される無数の空中楼閣にもそれなりの価値があるだろうが、精神分析を単なる言語芸術ではない経験的なものとして扱うならば、不整合は回避できる。
「運動と成長」という今回のテーマは、精神分析においては「行動と発達」という言葉で語られている。そこで、行動と発達に関する分析理論と分析実践との関連を、最近の詳細な症例報告に即して具体的に検証してみると、無視できない問題点が見出される。怪獣恐怖症の幼児に対するプレイ面接(前言語的象徴行動に着目した分析技法)を用いた治療経過について、分析家は「プレイ面接を通じて、幼児は分離不安の段階からエディプス期へと発達を遂げ、怪獣恐怖が消滅した」といった発達理論的説明を展開する。しかし素朴な日常的視点に立てば、同じ治癒経過に対して「ウルトラマンごっこで遊んでいるうちに、幼児は怪獣を怖がらなくなった」といった非理論的説明も可能と思われる。ここで重要なのは、分析理論の経験性は希薄であるという単純な否定的結論を直ちに出す事ではなく、理論と実践の複雑な関係を少しずつ理解し、それに配慮しようとする姿勢である。その際には、専門家共同体の内部で理論がもつ機能への着目が一つのポイントとなるだろう。
ワークショップのプログラムに戻る

2000年度の活動ページのトップに戻る2002年度の活動