「身体の政治のメタファーの類型学― 17世紀の情念論を中心に」 | ||
鈴木 晃仁(慶應義塾大学) | ||
近代初頭のヨーロッパの思想において、人間の身体についての理解と、宇宙・世界についての理解が密接に関連していたことはよく知られている。この関連を表現した観念の中で最も著名なものは、「小宇宙と大宇宙の対応」である。人体と宇宙は二つの「同型な」秩序ある世界であり、ミクロコスモスである前者とマクロコスモスである後者の間には、その原因は何であれ、何らかの対応があるはずである、という「観念」の長い伝統があり、ソクラテス以前、プラトンから中世・ルネッサンスを経て19世紀まで変遷しながらの連続を辿ることができるこの系譜は、ラヴジョイの古典的な著作(『存在の大連鎖』)以来、ヨーロッパの思想を研究するものにとって基本的な知識になっている。
その一方で、16・17世紀の医学書を読む時に、人体を大宇宙になぞらえて理解する表現と少なくとも同じくらい頻繁に ――数えたわけではありませんが、私の印象でははるかに頻繁に―― 現れてくる比喩は、小宇宙を政治的な関係になぞらえて理解・説明するものである。人間の身体部分・器官やそこに座を持つ機能の中に、「高級な」 (higher) なものと、「低級な」 (lower) ものがあるというhierarchical な分け方、そして、例えば、人体の中で物理的に高い位置にある頭と、そこにやどる理性といった高級な部分が、例えば、人体のトルソの最低部にある生殖器とそこにやどる情欲といった低級なものを、「支配する」という政治的なメタファーは、ルーティーンとしてあまりにも頻繁に現れるので、かえってそれを意識して問題にすることが難しいほど頻繁16・17世紀の医学書に現れる。そして、これを意識していないのは、われわれ歴史家だけでなく、当の16・17世紀の医者たちの側もそうだったのかもしれない。小宇宙と政治的世界の同型というのは、「存在の大連鎖」のような明確な形を取った観念というよりも、人体を理解し表象するときの思考・表現のツールであり、意識せずにそれに従っている「思考の文法」という性格を持っていたのではないか、という印象を私は持っている。 小宇宙と大宇宙の対応思想が、数々の研究の対象になり、その細部も分かっているのとは対照的に、人体を表象する際の政治的なメタファーのタイポロジーは、管見が及ぶ範囲では主題化してまとめられてはいない。重要な知見や洞察が、個別の医者・自然哲学者、あるいはテキストの研究の中に散らばっていて、まだその歴史的全体像はあらましの姿すら描かれていない。このタイポロジーを明らかにすることで、身体に関する言説と、社会・政治・文化に関する言説の両者には、どんな関係があり、その関係は時代によってあるいは文脈によってどう変遷したのか、という大きなそして根本的な問題に光を当てることが期待できる。このためには、ソリッドな実証研究、それも単にさまざまなテキストに散らばっているメタファーをただ雑多に集めるのではなく、ある著者なり作品群なりにフォーカスした研究が必要であるように思われる。今日の私の報告は、身体と政治のメタファーの類型学研究に向けて、Walter Charleton という比較的知られていない医者、17世紀の後半の多くの書物を出版した医者の著作に見られる政治と身体の比喩を検討する一つのケーススタディである。「身体」と言っても、厳密には「身体」と「霊魂」の狭間にあるような「情念」をめぐる政治的なメタファーのみを考察の対象とする。それ以外の身体部分も、複雑なメタファーを作り出したことが近年明らかにされているが、霊魂と身体の関係が、17世紀の人間の医学的な理解の中で、政治的な隠喩が最もヘヴィーに用いられる場であったからである。 以下、チャールトンを中心とした17世紀の情念論において、幾つかの政治的なメタファーの類型を区別して分析する。その中で、1)支配と服従が、理性と情念それぞれの固定した本性としてbuilt-in されており、感覚・情念などは自らに命令して己の意志で行動する主体ではなく、命令を出し主体として行動できるのは理性だけであるようなタイプ。そして、理性の独裁が「自然」な支配形式であると主張されているモデル、2)根本的にカテゴリーとステータスの違いを背景にした、安定した理性の支配のモデルではなく、情念が理性と互角に渡り合うほどの力をつけた結果、反乱する情念を理性が暴力でねじ伏せるモデル、3)同じく、理性から情念へという垂直な命令軸が不在で、両者が同じ資格で協調するモデル、の三つがチャールトン以外の情念論の類型として区別できることがまず論じられる。 チャールトンの著作においては、「自然哲学的ポルノグラフィ」という(あまり研究が進んでいない)ジャンルの作品である Ephesian Matron (???) と、Natural History of the Passions (1674) の二つが主として分析される。両者とも、情念にかなりの程度の自律性を持たせ、理性と互角に争うだけの力を認めている点では共通している。後者の中でチャールトンは、人間は「理性的動物」ではなく、「情念的動物」(zoon patheticon)である、とまで言っている。この背景には、チャールトンが一貫してプロモートしていたエピクロス主義的な人間理解がある。 しかしながら思想史的な文脈を共有している一方で、Ephesian Matron と Natural History of the Passions の間には大きなギャップがある。前者は、女性の貞淑の徳がいかに危ういものであるかという女性蔑視の思想を、医学的・自然哲学的な仕掛けによって正当化する内容を持っている。また、人間の道徳はその身体に逆らえないという、当時の基準で言うと非常に seditious な世界観・人間観、人々が「エピクロス主義」と言って恐れていた世界観そのものを剥き出しの形で擁護し、しかもそれを当時の道徳への明確な挑戦という形で表明している。情念の強さというのは人間の身体性に規定されるがゆえに、それはしばしば理性を完全に圧倒して、人を不道徳と淫乱のきわみに投げ込み、狂気の沙汰を犯させる。言葉を換えると、そういった反道徳の深みへと人間を引きずり込む情念こそが人間の身体の本性であり、われわれはそういった身体性から逃れることはできない、というヘドニズムと裏腹のペシミスティックなメッセージが盛られている。 一方後者においても、同じ情念の力を重視する道具立てのもと、強力な情念の「反乱」が描かている。そこの言葉遣いは、イングランドの内乱と国王軍の敗北を透かして見せるような書き方になっている。しかし、NHPを出版した時点ではチャールトンは、EMを書いた時点では知らなかった政治的な出来事を知っていた。すなわち60年の王政復古と反乱者たちの処罰である。そして、この事件は、理性的霊魂が支配権をとりもどす過程に読みかえられて、NHPに盛り込まれている。チャールトンは、理性の情欲に対する支配、理性的霊魂の身体的霊魂の支配の復活を、正当な支配者の復活という形で言祝いでいる。この、内乱と「革命」の可能性を残しつつも、しかしやはり理性が人間の正当な支配者でいる構図は、たしかに王党派ではあったが、だからといって絶対王政の支持者ではなく、「王を第一とし、その周りに強力な他の権威が並存する混合政体」というイングランドの伝統的な政治思想を支持していたと考えられるチャールトンの政治思想とほぼ合致する。そう考えたとき、身体的霊魂と非身体的霊魂、感覚機能と理性機能は、二つの強力な、時としてcompete する原理であるというWCの人間理解のモデルと、彼の「混合政体」の政治思想の間のパラレルを見出すことができる。 以上のことから、17世紀に主として医学的なコンテクストで情念の問題が論じられるとき、政治のメタファーがクルーシャルな・不可欠な役割を果たした、ということが言える。あるいは、情念の問題は学知として語ろうとすると、政治の言葉でなければ語れなかった、といってもいい。そして、情念の位置付けは、現実の政治状況や、その著者の政治「思想」などに応じて、変わってきたことも確かである。めまぐるしく変動し、それに関してまたさまざまな解釈やオピニオンが存在した「政治的世界」を一つの参照元として、17世紀の情念論は変わっていた、と言いかえることができる。 いまひとつ、特に Ephesian Matronに関連して、ポルノグラフィの問題にも洞察を加えることができる。この10年ほどで急速に活気付いたポルノグラフィの歴史研究があぶりだしたヨーロッパのポルノグラフィの歴史の大筋は、「政治的なステイトメントとしてのポルノグラフィから、エロティックなティティレイションとしてのポルノグラフィへ」という大きな転換が18世紀に起きた、ということを教えている。現在では、私たちの多くにとって、私たちを政治的興奮に誘うマテリアルと、エロティックな感興を起こさせるマテリアルは、全く違う。前者はきわめてパブリック、後者はもっともインティメイトな領域である。上に提示した議論を踏まえると、私たちは、18世紀か19世紀か、「ポルノグラフィ革命」以前においては、エロティックな行為を描くことが、なぜ単なる道徳コードの侵犯というだけではなく、現実の政治的な状況に対するステイトメントとなるのか、ということをより的確に理解できる。情念・情欲の支配の問題は、政治世界を参照して理解されたので、情念の放縦を描くことは、政治社会の反乱を表現することでもあったからである。逆に、ポルノグラフィが政治性を失っていく過程も、もしかしたらこの人間の身体の政治的な理解の衰退と関係あるのかもしれない。 |
||
close |