「身体なき声:その心理学と歴史」 | ||
武藤 浩史(慶應義塾大学) | ||
本発表では「身体なき声」というモチーフを軸として、声と身体、声と自己、声と歴史の関係の考察を試みた。
T身体なき声の定義と心理学:身体なき声とは聞き手に話者の身体が見えない声のことを指す。闇の中の声、扉の向こうの声、人間以外のもの─例えば機械─が発する声などがその例である。通常伴う人間話者の像を持たないこの身体なき声には強い恐怖と魅惑を喚起する力が備わっているが、それは鏡像段階以前、人称成立以前の自己および自己身体像との繋がりに起因することが、ディディエ・アンジューやフランソワーズ・ドルトらの精神分析学者の仕事から結論づけられる。そして、この初期の自己と身体なき声との繋がりが、デリダが音声中心主義と名付けた─ここではメロセントリシズムと呼ぶ─傾向の根底に横たわっていることが推測できる。 U身体なき声の歴史1(近代─18世紀末):以上のことより、非歴史的な視点からの身体なき声の心理学あるいは一見矛盾した言い方になるが身体なき声の身体論・現象学というものの可能性が明らかになる。ラカン派のムラデン・ドラールは父なる声と父に抗する声の関係について興味深い論を展開しているし、スティーブン・コナーは幼児期における声を通しての世界の受容と世界への働きかけについて論じている。しかし、ここでは、当該テーマの非歴史的側面はひとまず脇に置いて、身体なき声の歴史、特に身体なき声とモダニティの関係を中心に考えてみた。 古代から身体なき声の恐怖と魅惑の力は認められてきた。宗教学者デヴィッド・チデスターは神的啓示のディスコースの感覚的特徴として、視覚的光とともに身体なき神の声の例を挙げている。しかし、興味深いことに18世紀後半から身体なき声の表象がヨーロッパのさまざまなテキストに頻出するようになる。ゴシック小説、ロマン主義詩などがその一例である。 ゴシック小説家アン・ラドクリフの代表作『ユードルフォの謎』に現れる身体なき声の一例を精査すると、ジェームズ・マクファソンの『オシアン』詩やエドマンド・バークの崇高論など当時の主要な諸テキストとの絡みあいが明らかになり、さらにはそのような声の表象が、近代化─とくに産業化と識字率向上─を背景とした当時の民衆口承文化ブームと繋がることが分かる。すなわち身体なき声は視覚および活字中心主義をその特徴とする近代化によって生じた前近代へのノスタルジアと繋がるのである。そして、さらに、ワーズワースやショーペンハウエルのテキストからは、身体なき声が、視覚中心の近代における反近代的代替自己(alternative self)の比喩として用いられることが明らかになる。無身体音声的代替自己は表面的な視覚のファンタズマゴリアの彼方、自己の深奥に存在するものとして想像される。 身体なき声に代表される音声中心主義は、精神分析学者のように非歴史的に捉えることもできるし、デリダのように西洋思想全般とリンクさせることも可能かもしれない。しかし、以上のことから分かるように、ここでは私がメロセントリシズムと名付けた一連の近代的現象の枠組みの中でこれを捉えたいと思う。メロセントリシズムとは18世紀後半に起源を持つモダニティと繋がった音声中心主義のことであり、代替自己表象における身体なき声の使用、アダム的言語観以降の近代言語学における音声言語の優位、美学における音楽のロマン主義的優位などをその特徴とする。 V身体なき声の歴史2(19世紀末):19世紀末は身体なき声の文学的表象との関連で言えば、メロセントリシズムが当時誕生した音テクノロジー─蓄音機、電話、無線─と絡みあい、さらにはその身体なき声を用いて表現される社会的諸問題と絡みあった時代である。ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』を支配するゴシック小説の影響色濃い身体なき声は、同時代の帝国的状況の諸相─内なる消費社会と海外の植民地主義─を露わにして、同作をメロセントリックなロマン的唯美小説と帝国小説の奇妙な混淆体に仕立てあげる。オスカー・ワイルド作『サロメ』のクライマックスに一瞬現れる主人公の闇の中の声は、さらに触れることと繋がって、同時代同性愛表象の典型例となる。ブラム・ストーカー『ドラキュラ』やラドヤード・キプリングの『キム』では、上記の政治的、性愛的表象が当時の最新テクノロジーである蓄音機の謎めいた描写を通して行われ、特に前者においては、蓄音機の声と代替自己との繋がりが明示されるとともに、蓄音機前史のメロセントリックな起源が暗示される。 W身体なき声の歴史3(1920年代):19世紀末に誕生した音テクノロジーが代替自己に繋がるものと想像され、近代メロセントリシズムの伝統に棹さしたとすれば、それとは対照的に、1920年代に爆発的に普及したラジオ=ワイアレスは、少なくとも一部の人間にとって、音テクノロジーと心の深奥に宿ると想像される代替自己との繋がりの幻想を断つものだった。テオドール・アドルノの評論と並んで、D・H・ロレンスの『チャタリー卿夫人の恋人』にその典型例が見いだされる。ロレンスにとってワイアレスのイメージは、1910年代から20年代にかけて劇的に変化する。20年代初頭まではロレンスにとってワイアレスは代替自己と繋がる基本的には肯定的なイメージを有していた。それがラジオ放送開始とともに急速に悪化する。1926年から書き始められた『チャタリー卿夫人の恋人』の3つの稿を比較してもその変化は明らかである。空虚な自己と結びつけられるクリフォード・チャタリーのラジオへの典型的惑溺は作者の書き直しに従いどんどん重要性を増してゆき、最後には作品の最重要章の冒頭に置かれるようになる。キプリングの短編「ワイアレス」で予兆されたグローバルネットワークの時代におけるワイアレスと空っぽの自己との繋がりは、この『チャタリー』のラジオ表象において完全に実現される。 音テクノロジーと代替自己との繋がりの断絶により、近代メロセントリシズムは『チャタリー』において一種の先祖返りを見せる。すなわち、森番に代表される方言の声の特権化は活字の外にある民衆口承文化へのノスタルジアに支えられた、音テクノロジー発明以前のパターンへの回帰と考えることができる。ただ、一点、異なるところがある。かつては身体なき声として表象されたものが今度は、身体の欠如は音テクノロジーの方に預ける形で、それに対抗する肉体を伴って戻ってきたという点である。 X身体なき声の歴史4(2つの流れと現在):ロレンス的伝統はその後ジョージ・オーウェルの『1984年』に受け継がれる。しかし、20年代にもこのような伝統に対立する流れがあったことに触れるべきだろう。ヴァルター・ベンヤミンの複製芸術論におけるアウラの消滅の概念はロレンス的伝統に近いが、ベンヤミンの評論には同時に映画を唯美主義芸術の頂点と見る論への対抗意識がかいま見える。つまり、アベル・ガンスらのベンヤミンとは異なる映画観がこの時代には存在したのである。同じことはラジオについても言える。ロレンスが『チャタリー』の執筆を始めた1926年には、フランツ・ヴァルシャウアーによるラジオを究極の芸術メディアと見る論考が発表されている。トマス・マン『魔の山』(1924)の主人公の蓄音機への惑溺もその関連で考えることができるだろう。ロレンス的伝統がMUZAK批判などに繋がるとすれば、それに対立する流れはヘッドフォンをヨガ修行者の音声体験になぞらえたマリー・シェイファーの論考に繋がってゆく。テクノ的身体なき声に身を包んで、それを垂れ流しに近い状態で自閉的に消費しつつも、時折そこから立ち現れる代替自己との出会いに激しく心をゆさぶされる現代人──それは、そのまま、この2つの流れの間でゆれつづける私たちの姿の反映と言うことができる。 |
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