「体外発生の(悪)夢─医療テクノロジーと身体性の消滅」 | ||
萩原 眞一(慶應義塾大学) | ||
1.はじめに 体外発生の鮮烈なヴィジョンをはじめてわれわれの脳髄に深く刻み付けることに成功したのは、オルダス・ハクスリー(1894−1963)の小説『すばらしい新世界』(1932)である。小説の舞台は未来の全体主義的世界国家。この徹底した階級社会を効率よく安定的に支配するための道具が、体外発生を可能にした生殖テクノロジーであった。〈新世界〉では、自然な生殖の営みは完全に否定されている。人間の胎児は、体外受精を経て、人工的な壜の中で成育してから「出壜」“decant”するのである。そこには、男女の身体的な接触は介在せず、子宮という原空間もなく、ましてや愛とか恋といった人間的な感情など、みじんも存在しない。 この発表では、体外発生が惹起する身体性の消滅という問題を、『すばらしい新世界』を中心に据えて検討することを目的とする。具体的には小説を、@1920年代から30年代初頭にかけての英国の歴史のコンテクストの中において読む、A20世紀末の〈いま〉に引きつけて読む、という2方向で行う。 2.〈新世界〉の体外発生法 〈新世界〉は、2つの画期的な生殖テクノロジーを開発した。1つはポズナップ法、もう1つはボカノフスキー法である。前者は卵の成熟過程を急速に促進する技術であり、後者は受精卵の人工的な増殖・分裂により、最大96の受精卵細胞を培養する技術だ。両者を組み合わせると、2年以内に、1個の卵巣から総勢1万人以上におよぶ、150群の一卵性の兄弟姉妹を誕生させることができるという。「自然に対するおそるべき改善」。 大量出現する胎児は、順次、人工子宮の役目を果たす壜に移される。壜はベルト・コンベヤーの上に載せられる。ベルト・コンベヤーは1時間33センチ3分の1の速度で動く。1日8メートルの割合で267日間移動すると、全行程は2,136メートル。その間、胎児に対していろいろな操作が施される。第1に栄養補給、第2に優生学的操作、第3に条件反射教育だ。こうした過程を経て、267日目の朝、出壜室で陽の目をみる。この胎児貯蔵室の光景は、「大量生産の原理が生物学に応用された」ことを如実に物語っている。 この体外発生ヴィジョンは、小説刊行直後、物議をかもし、それを荒唐無稽な絵空事であると受け取める見解が多かったが、著名な発生学者ジョセフ・ニーダムは、ハクスリーの体外発生ヴィジョンには「われわれがすでに手にしている知識とパワーから論理的に推定されるもの」以外何も含まれていないと言明し、小説家の援用する「生物学は完璧に正しい」とお墨付きを与えた。 〈新世界〉の体外発生ヴィジョンは、二重の意味での身体性の消滅を描いている。1つは、性的関係の欠如による身体感覚を伴う他者の確認の喪失という意味での身体性の消滅。もう1つは、胎児と母体の遊離という意味での身体性の消滅である。これらの脱-身体化を惹起する生殖テクノロジーは、抑圧のテクノロジー/解放のテクノロジーの両面性をもつが、ハクスリーは前者を危惧していた。 3.歴史的コンテクスト ハクスリーが援用した「知識とパワー」の1つは、〈現代・未来〉叢書である。この叢書において、当時の著名な英国の思想家、科学者、哲学者、医師、芸術家が、主に体外発生に関する刺激的考察を披瀝しているが、とりわけJ.B.S.ホールデインの『ダイダロス、あるいは科学と未来』(1924)がハクスリーの霊感源であった。ホールデインによれば、人身牛頭のハイブリッドな怪物ミノタウロスを造成した天才的工人ダイダロスこそ、「生物遺伝学」の祖であり、生物学的制御の可能性を予見した自著のタイトルに最もふさわしい存在となるのだ。 ホールデインは、当時の最先端の生物学的知見を踏まえながら、体外発生の成功を1951年と予測し、21世紀後半の英国では、自然な生殖の営みから生まれる子供の数は30パーセント未満、残りすべては体外発生により誕生すると予見した。彼が思い描く生物学的ユートピアにおいては、人間は体外発生器から誕生し、さまざまな薬品や健康食品の恩恵に浴して快適な人生を送り、最期は穏かで苦しみのない死を迎えるのである。ホールデインの『ダイダロス』が陽画だとすれば、ハクスリーの『すばらしい新世界』はその陰画にあたる。ハクスリーの目論見は、ホールデインの夢想した生物学的ユートピアを転用しながら、そっくりそのままベクトルを逆転させ、それを戯画的に風刺することにあった。 『すばらしい新世界』は、〈現代・未来〉叢書を舞台に展開された体外発生をめぐる言説を集大成しながら、同時にパロディ化・異化している。その意味で、歴史的なコンテクストに帰属している。ハクスリー自身は小説の中で声高に〈新世界〉を攻撃する言辞を弄してはいないが、シェークスピアの『あらし』の一節からとられた小説の題名には、痛烈な皮肉が巧妙に仕掛けられている。先端的な医療テクノロジーを握った国家が、一見、バラ色のユートピア社会を現出させたかにみえたが、その内実は、あらゆる変化を拒む、「安定」第一の抑圧的なディストピアであったという皮肉である。 4.アウラの終焉 さて、〈いま〉に目を転じてみると、生殖革命が急速な勢いで進行している。体外受精、顕微受精、凍結保存を実用化し、さらに人工子宮の開発へと邁進しているのだ。この生殖革命の動向と体細胞クローン技術を視野におさめながら、ボードリヤールは、『透きとおった悪』(1990)の中で、体細胞クローニングがそう遠くない将来、人間という哺乳類においても成功することを確信的に見通し、人間のクローン化がはらむ問題を先見的に考察している。彼によると、問題は2つある。 第1は、一切の他者性の廃絶である。これは、体細胞クローニングが、生殖いう二元的行為はもちろんのこと、生殖細胞同士の結合すら無用にしてしまい、すべて他者なしですませることを可能にするため、出来する問題だ。クローン人間は、一切の他者性を追放しながら、無限の増殖を繰り返すのである。 第2は、全体性の終焉である。身体を部品視する立場に立つと、ヒトあるいは異種動物の臓器や人工臓器が、典型的な人工器官になるが、体細胞クローニングでは、個々の細胞に内包された遺伝情報こそ、とりわけ人工器官性を担った存在となる。それは、いわば「胎児状」の人工器官であり、あらゆる機械的な人工器官よりもさらにいっそう人工的な「サイバネティックス的人工器官」だ。体細胞という「胎児状」の人工器官から存在の全体を作り出すことが可能になると、全体という概念それ自体の意味が喪失してしまうのである。 ボードリヤールが指摘する、他者性の廃絶にせよ、全体性の終焉にせよ、それらを底流するのは、一言に煎じ詰めれば、身体性の崩壊という状況である。それは、「身体のモデル化の歴史の最後の段階」に相当する状況だ。 5.おわりに 『すばらしい新世界』のハクスリーは、情報化時代の生殖テクノロジーである体細胞クローニングまでは思い至らなかった。たしかにハクスリーは、遺伝情報コードという原基からの無制限な増殖までは予測できなかった。しかし、現在の生殖革命の急激な進展を目の当たりにするとき、事態は、受精卵クローニングと人工子宮を組み合わせたハクスリーの体外発生ヴィジョンの方向に着実に進行しているように思われる。いやむしろ、現実がハクスリーの描いたヴィジョンを追いかけているとすらいえるかもしれない。「ハクスリーの描いたヴィジョンは少しずつ現実のものに近付いているのであり、われわれはじょじょに『壜』の中へと取り込まれている」(飯島洋一)のではなかろうか。 |
||
close |