科研「近現代の日本における医療の構造変化と歴史の重層」

2010夏 第一回報告会プログラム

 

於:大阪大学豊中キャンパス

http://www.osaka-u.ac.jp/ja/access/toyonaka.html

ご不便をおかけしますが、それぞれ別会場となります。

10日(金)総合学術博物館 待兼山修学館3階 セミナー室 11001700

11日(土)法・経大学院総合研究棟4階 大会議室 10001700

※添付の地図で「法経大学院」となっている建物です

 

910日分報告

鈴木晃仁 (慶應義塾大学)「日本のコレラと<疫学的遺産>の概念」10日午前

脇村孝平(大阪市立大学)「近代東アジアの疾病史・公衆衛生史における国際的契機−研究サーベイの試み」10日午後

逢見憲一 (保健衛生科学院)「わが国における18892009年のインフルエンザ超過死亡と公衆衛生―ウィルス循環、経済水準、予防接種の役割―」10日午後

 

10日の報告終了ののち、6時より博物館のカフェで懇親会を予定しています。ふるってご参加ください。

 

911日分報告

橋本明 (愛知県立大学)「近代国家と私宅監置:日本精神医療史の批判的検討」11日午前

渡部幹夫 (順天堂大学)「15年戦争と結核研究・日本のBCG研究」11日午前 

海原亮 (住友史料館)「医療環境の近代化過程―維新期の府中を事例として―」11日午後

杉田米行(大阪大学)「コーポラティズムの時代:健康保険法制定過程における医師会の役割」11日午後

 

それぞれの報告は、45分の報告と、45分のディスカッションを予定しています。

 

出席予定

田中誠二(順天堂大学)、愼蒼健(東京理科大学)、加藤茂生(早稲田大学)、杉田聡(大分大学)、山下麻衣(京都産業大学)、永島剛(専修大学)、廣川和花(大阪大学)、他 

 

 


鈴木要旨

西欧諸国がコレラに対して公衆衛生を作り上げたとき、中世から近世にかけて流行したペストに対する方策をベースにして、それを時代と社会と疾病に合わせて変更するという形をとった。ペストは19世紀の公衆衛生の原型を提供したという意味で、ヨーロッパ諸国の<疫学的遺産>を作った。それなら、ペストを経験しなかった日本がコレラに立ち向かったときに、何を原型としたのだろうか、という問いを考察する。

 

 

逢見要旨

“超過死亡”の概念と手法を用いて,明治期から現在に至るわが国におけるインフルエンザの流行による健康被害を定量的に把握した。超過死亡を左右する要因としては,第二次大戦前には,新しいウィルス亜型の出現および経済水準が,戦後では予防接種の普及が関与していると考えられた。

 

 

脇村要旨:

本報告の狙いは、次の二点にある。@近代東アジアにおける疾病史・公衆衛生史(医療史・医学史的な側面については、限定的に触れるにとどめる)に関する研究を、専ら対外的側面に留意してサーベイを試みてみる。Aその際、(1)19世紀後半、(2)20世紀前半と大きく二つの時期に分けて、整理する。このような時期区分は、大ざっぱに言って、国際保健の中心的な対象が、急性の感染症(例えば、コレラ、ペストなど)の時期から、慢性の感染症(結核、ハンセン病など)の時期へと転換したことにほぼ対応している。このような変化が、東アジアの公衆衛生史の対外的側面においても、一定の意味を伴っていたと推測されるからである。

 

杉田要旨

第一次世界大戦後、ワシントン体制というリージョナル・コーポラティスト・レ

ジームの成員となることで、日本政府は経済的利益を得ることができ、東アジア

で満蒙特殊権益等、死活的利害を確保することができ、国内の反対勢力を抑える

こともできた。反面、日本はこのレジームの一員として、自由主義的・革新的な

イデオロギーも受け容れざるを得なかった。

 

そのひとつのあらわれが健康保険制度の導入である。政府が健康保険法の制定を

目指したのは、労働者階級の不満が高まり、それを抑えるという側面もあった。

だが、それが主要な要因だとは考えにくい。政府が労働運動の高まりに現実的に

差し迫った危機感を感じていたならば、労働者階級が強く要求しなかった健康保

険法の制定といった対処よりも、失業対策や賃金値上げ対策に踏み込まざるを得

なかったであろう。政府は、労働運動の脅威が潜在的なものであり、予防的措置

として制定しやすい健康保険法に目を向けたのである。

 

しかし、健康保険法を制定するにあたり、最も大きな障害となったのは、大企業

と医師会だった。鐘紡等の大企業はすでに企業内に共済組合を持っており、政府

主導の健康保険組合が新設されると労務管理に支障が出ると懸念していた。そこ

で、既存の共済組合が健康保険組合の代行ができるように主張した。また、200

万人ほどの被保険者に対する医療組織は、健康保険法制定において最も重要な問

題のひとつであり、開業医・医師会をどのようにこの制度に関わらせるかは大き

な問題だった。この健康保険法制定過程において、日本政府は大企業・医師会と

「労働なきコーポラティズム」の枠組みを形成していった。日本政府と大企業の

関係の分析は別の機会に譲るとして、今回の発表では、政府と医師会の関係に焦

点を絞って分析する。

 

健康保険法制定過程において、医師会を包含する日本のコーポラティズムの重要

要素として、以下の5点がある。(1)医師会と国家が共通の利害関係を共有するこ

とで対立を抑制すること(2)医師会が健康保険問題に関する規範形成に実質的な

参加ができること(3)この体制への参加によって、医師会執行部が医師会内部の

反対勢力を抑え、医師会統治に有益なこと (4)この体制に法的正統性が付与され、

制度として確立していること(5)国家が医師会の利害を調整する調停役として存

在すること。

 

世界システム論と医療保険制度論という異なる分野を統合させることで、健康保

険制度導入時の国内外の情勢を有機的にとらえたい。また、コーポラティズムの

概念を導入することで、1920年代から30年代後半の日本政府と医師会の関係をよ

り的確に描写することができ、その意義を考えてみたい。