11月度医学史研究会報告

奇疾と怪妖――人面瘡譚の展開にみる近世的身体の位相
 
香西豊子(日本学術振興会特別研究員)

 近世の身体はボコボコと、じつに様々な「怪妖」を表出させた。それは、身体をめ
ぐる言葉の現代的な住み分けに慣れた目には、非常に奇異な事態と映る。身体/テク
ストが、「医学」や「文学」、「妖怪研究」といった枠をさらりと超え、ときにそれ
固有の次元で戯れ手さえいるのだ。今回の発表では、江戸時代初期より身体/テクス
トのなかに現れ、以来そこを縦横に跋扈した「人面瘡」を指標(アイコン)とし、近
世的身体のもつ豊穣さへと迫った。
 体表に突如として人の顔ができ、それが一つの人格として振る舞うというモチーフ
は、現代の文学作品ではおなじみのものである。が、「人面瘡」という文字列が日本
で流通するようになったのは、江戸時代の初め、大陸渡りの医学書(本草書)を通し
てであった。「ある商人の左ひざに、人面のような瘡ができた。酒を飲ませば赤くな
り、物を食わせばよく食べる。食べさせなければ痺れがくる。諸薬を試すに効果な
く、ただ貝母にいたって、眉を寄せ目を閉じた。そこで口に無理やり貝母をそそぐと
瘡蓋になって治った」という。以後、このテクスとは、本草学や瘍科(現在の外科・
皮膚科等に相当)の書のなかに継承されてゆく。と同時に、怪異譚としても流布する
ようになる。かつての悪徳が「人面瘡」となってあらわれるという因果応報の物語
や、両膝にできた「人面瘡」が勝手放題にふるまい自分の体が統御できなくなるとい
う滑稽話が、つぎつぎと産出されたのだった。
 だが、ここで興味深いのは、いったん分かたれたかのように見える二つの「人面
瘡」譚の系譜(かりに「医学系」・「文学系」としよう)も、その実、相互に乗り入
れあい、何とも特異な身体/テクストの空間を紡ぎだしていたことである。江戸時代
中期には、「人面瘡」をはじめ世の奇怪な疾病ばかりを集めた症例集が板行された
が、それが戯作者のネタ本になるにとどまらず、怪妖故事談として改題され再板され
もした(しかも、何度も刷をかさねた)。江戸時代後期にも、将軍の奥医師(瘍科)
が記録した「人面瘡」の症例録が、貴重書として弟子たちにより筆写・板行される一
方で、戯作者や儒官らにより奇談として面白がられたのだった。
 今回の発表では、ごく一部しか報告できなかったが、近世の身体/テクストのはら
む意味世界は、たいへん魅惑的である。こうした身体/テクストが、資料面から、
「その領域は、文学の/医学の/好事家の/」と細分されるなら、そこに宿る運動
性なり不可思議性までもが寸断されることだろう(それは、医学史研究にとって、自
縛自縄ともなる)。テクスト「横断」的な事象、たとえば今回とり上げた「人面瘡」
譚のような収まりの悪い事象をいかに対象化してゆけるか。その資料論(をささえる
医学史の方法論)が、日本でもそろそろきちんと議論されなければならないだろう。