Response
to “Cholera, Consumer, and Citizenship”
This
is a much needed addition to the growing literature on cholera in modern
While
reading this paper, several questions or areas for further exploration came to
mind. First, I would like to see more, in the future of course, research on how
the state negotiated with the popular understanding of affliction. The 1880
“Korera yobo satoshi” publishing through the Ministry of Temple and Shrines is
one attempt to pitch the importance of a more “scientific” understanding of
cholera and prevention to the masses. From the start of Meiji to its end, what
is the trajectory of state-centered cholera prevention education? Also, as we
know, medical elites understood the limitations of the state and founded the
“DaiNippon Shiritsu Eiseikai.” How did this association take up where the Chuo
Eiseikai or Eiseikyoku left off?
Second,
and this is where cholera discourse intersects my work on beriberi at the same
time, is the question of continuity and change. It appears that older ideas of
“shokuyojo” or dietary regimens were integrated with or grafted onto newer
notions of cholera prevention. This of course is not surprising, but what is
surprising is that the medical authorities, including Mori Rintaro (himself),
supported and even disseminated these ideas. In the beriberi debate, Mori and
other doctors from
Third,
I am interested in the spread of the latest medicine and science through
consumer culture. When barley was being promoted in the navy in the 1880s, this
spilled over into society through barley co-opts, basically health food
associations that sold barley throughout the archipelago. When researchers
studied and supported brown rice or half-polished rice for beriberi prevention
and treatment in the 1910s, similarly health food associations promoted this
form of rice as a key to maintaining health. In short, these local level
associations or organizations were key to the spread of science from the lab in
order to have a greater social impact and these deserve, depending on what
sources are available, further examination.
永島剛 “Cholera, Consumer, and Citizenship” へのコメント
コレラ患者が発生し、その感染源が東京湾産のアオヤギであると報道されたことがある。正確にはいつのことであったか忘れているのに、なぜか寿司ネタのアオヤギ(「小柱」もアオヤギの貝柱か・・・)を見ると、私は未だにそのことをふと思い出したりする。といっても、今では出されれば平気で食べてしまうだろうが、もし同じような状況が再来したら、わからない。警戒してしばらくは食べないかもしれない。あの時も、たしか消費者の買い控えにより、生産者や鮮魚店、寿司屋などが影響を被ったと記憶している。
歴史研究に、現代における感覚をそのまま持ち込めば、それはanachronismの謗りをまぬがれない。しかし、過去の人々と現代における我々との「共感」を欠いた研究も、面白くない。The
Suzukisによる今回のコレラ史論では、「一般消費者」の目線が大切にされている。消費者の思考や行動は、もちろん時代・場所(制度)の規定をうけるが、ある程度時空をこえた共通性もあるはずである。本稿で印象的に紹介されている、1886年コレラ流行の際、刺身や寿司、はては納豆や豆腐までも警戒して買い控え、逆に卵、肉、鰻などに食いつく明治の消費者たちの動向をみて、そのことを考えさせられた。
これまで主流であった「国家」対「民衆」、「西洋医学」対「伝統的観念」の対決型コレラ史論では、出てきにくかった一般消費者の位相。本稿において、こうした二元論的把握を超える際に鍵となっているのが、漢方でいう「霍乱」と西洋医学でいう「コレラ」をめぐる理解の連続・共存・混合性についての考察である。よくいわれる「養生」から「衛生」へ、とは確かに分かりやすい図式ではあるが、実際には、国家の衛生担当者も「養生」を意識したし、すべての民衆が「衛生」を全面拒否したわけではない。また、ただ受動的に飼い慣らされてしまったのでもない。「○○に罹らないためには、腐った魚を食べるなかれ」。○○は、霍乱でもコレラでもよい。理由づけは、いろいろあるだろう。たとえば曰く、滋養、消化、細菌。でも重要なのは、理由はともあれ、カラダによいもの摂取することである。こうして衛生担当者はその点を説いたし、人々も「市場」を通じてそれを求めた。
そのことを指摘することで、もちろん二元論から一元論になってしまったわけではない。こうした一般消費者に関するする問題意識は、Suzukiが「治療の社会史的考察−滝野川健康調査(1938)を中心に」(WP001)で追究している消費者選択と供給の多様性の指摘に通じている。また本稿においても、「市場」における取引においそれとは参入できなかった都市スラム住民への言及がある。「一般消費者」の目線・立場を中心に据えてみることによって、ややもすると「民衆」として一括りに(曖昧に)されてしまいがちであった階層格差による差異(とくに彼らと「細民」たち =「hygienic
citizenship」の内と外)を捉えることができる仕掛けも、ここで導入されているのである。
一般消費者、common
peopleと言い換えてもよいが、彼らの目線を大切にすることが「下からの歴史」を標榜する「社会史」の目指すところである。Roy
Porterの名著Health
for Sale(邦訳書名『健康売ります』)を読んだとき、その重要性を認識させられ、なによりもその面白さに惹かれたわけだが、ついに本論考によって、一般消費者の日本コレラ史の一歩が踏み出された。もちろん詰めるべき点はあるだろう。Porterの著書では、18世紀イングランドにおける商業化社会の展開というコンテクストのなかで議論が展開されている。19世紀日本における市場史や「食」に関する歴史の一般的な展開との関係も、これから詰められていくことになるのだろう。とりもなおさず、「一般消費者」としての共感を活かしつつ読んだテクストを、それをそれぞれの時代・場所のコンテクストのなかでさらに吟味していく作業に他ならない。
ところで、アオヤギは食べてしまう私だが、生牡蠣については多少抵抗感がある。それは、19世紀末イングランドや1920-30年代の日本における牡蠣による腸チフス伝播の資料を、ずいぶん読んでしまったためである。ただ今のところ、その感覚を自分自身の研究に活かすには至っていない。腸チフス対策として派手なのは、やはり水道・下水道といった巨大公共事業の話であり、行政のエネルギーがそこに集中されたことに引き摺られているせいもある。ただ消費者の目線ということを考えた場合、どうだろう。水や便所が重要なのは確かだが、同様に食物と病気の関連にも大きな関心が払われていたに違いない。牡蠣だけではない。下肥栽培の野菜、牛乳、アイスクリーム、かき氷。モダン都市における外食文化。集団食中毒。私が今までみてきた資料のなかにも、手がかりはいろいろありそうだ。本稿を読んで、ポスト・コレラ社会における消費者の「市場」を通じたhealth-seeking活動(とくに食物消費に関して)の観点から、腸チフス史を再考してみたいという衝動に今駆られている。