大正三年、東京における発疹チフスの大流行について防疫行政面からの一考察

日本医史学雑誌 48巻、4号 P.597P.616

内容:大正3年の東京における4119人が罹患し778人が死亡した発疹チフスの大流行について、衛生局資料、日本伝染病学会雑誌、新聞記事等により社会と医学の両面から考察した。その原因は季節労働者の劣悪な居住環境と考えられる。診断治療の実際と防疫行政について検証し、化学療法の存在しない時代における医療の社会的側面について考察した。日本の近代環境保健、公衆衛生、防疫、疫学の一断面を現代の国際保健の状況を含めて史的に詳述した。

 

京都・島根ジフテリア予防接種禍についての京都府記録とGHQ文書

日本医史学雑誌   49巻、1号 P.122P.123

内容:昭和23年、連合国占領下における予防接種法の成立直後に発生したジフテリア予防接種事故について日本側記録とGHQ文書を比較研究した。ジフテリアトキソイドの製造検定上の過誤により83名の死亡者が記録されている。この事故事件と、同時期の予防接種に伴ういくつかの事故に対する記録を通して、戦後の医療保健福祉の改革期における占領下の行政と医学界そして社会について歴史学的に考察した。予防接種法の受容過程を検討して、現在の予防接種に伴う問題の原点が法の成立過程に存在すること報告した。

 

昭和二十四年の岩ヶ崎接種結核事件について―GHQ文書と日本の資料

日本医史学雑誌

49巻、3号 p479から492

内容:昭和24年、宮城県栗原郡岩ヶ崎町において百日咳予防接種後に65名の小児に発生した接種結核事件についてGHQ文書と日本側の資料をもとに歴史学的研究を行った。戦後の防疫行政、予防接種行政を公衆衛生と社会政策の両面から考察した。本事件はその後国家賠償法による提訴がされているが、結審することなく原告の提訴取り下げがされており、その裁判の背景について、また当時の医療と社会福祉についても考察した。

 

戦後期に発生した予防接種後の四つの接種結核事故について

日本医史学雑誌501号 P 68-69

内容:戦後期におこなわれた予防接種(腸チフス、ジフテリア、百日咳)により接種結核症の集団発生が四件記録として発見できた。昭和21年・23年・23年・26年に、それぞれ、102名、33名、65名、16名が結核症に罹患した。これらの事故の原因は明確にはされていない。結核症が蔓延している環境における他疾患にたいする予防接種に付随して発生した事例であるが、その後の医療と行政の対応を含めて報告した。

 

医史学研究 昭和26年の京都・島根ジフテリア予防接種禍事故について (医療過誤・事故を再びくり返さないために)

医学と医療,454号、平成173月 P.25−27

内容:2003年日本医史学会総会において「京都・島根ジフテリア予防接種禍についての京都府記録とGHQ文書」を報告した。その後、偶然に被害者が書かれた本を手にする事ができ著者と交流ができた。被害者とそれを取り巻く家族の声は研究者として得ることの多かった。今、医療過誤や医療事故の報道が多い一方で、カルテの開示や医療の情報公開がすすみ、医療の広告規制も緩和されつつあり、医療をめぐる環境の変化は速い。現在につながる占領下の保健医療行政の問題と当時のメディアを含んだ国民の対応について研究結果を報告した。予防接種事故としてはドイツのリューベック事件を超える重大な事故でありながら正しく伝わっていない。医療事故が正しく伝えられ、医療・福祉に携わる人に広く知られることを期待して本文を書いた。

 

結核予防法成立時の医療行政史の一面

日本医師会雑誌 平成189月 第135巻・第6

P13411347

BCG論争と占領下の結核行政の予算についてGHQ文書と日本の資料により考察した。BCG接種の安全性と効果に対する疑問が日本学術会議から提起された。結核予防会、結核予防審議会が接種の推進意見であったのに対し社会保障制度審議会と日本学術会議には反対する意見が多かった。BCGに対する科学的な評価は現在も議論のあるところであるが、GHQ占領下の緊縮経済の中で行政・政治だけでなく、一般社会での議論が1年以上の長期間行われた。現在の医学的な知識により判断することには問題があるが、医療の問題に対する国民的議論として再評価できる内容である。議論はGHQの指令及び日本の政治的決定として決着した。結核予防法は平成18年廃止されたが、昭和26年の法制定時の議論はその後の日本の保健医療制度のスキームに関わるものであったと考えられる。